北海道・利尻島と沖縄県・西表島で土と植物の葉から採取した酵母の遺伝子

 北海道・利尻島沖縄県西表島で土と植物の葉から採取した酵母の遺伝子を解析したところ、二つの島で共通していたのは183種のうち1割弱の15種しかなかったと、理化学研究所と明治薬科大の研究チームが29日までに米科学誌プロス・ワンに発表した
 酵母の一部はパンや酒、医薬品、サプリメントの製造に利用されるが、まだ知られていない種が多い183種の半分は新種とみられ、日本の多様な酵母の中からバイオ燃料製造など新産業に役立つ種が見つかることが期待される
 生物の種は形態に基づき特定されることが多いが、酵母は判別が容易ではない近年、遺伝子のDNA解析が早く安くできるようになり、DNAから種が特定されるようになった 
 理研バイオリソースセンター(茨城県つくば市)の高島昌子ユニットリーダーや明治薬科大の杉田隆准教授らは、利尻島西表島で計1021株の酵母を採取細胞内でたんぱく質を合成する「リボソーム」のリボ核酸RNA)を生み出す遺伝子について一部を解析し、183種を特定した
 酵母の採取対象を昆虫や土壌中の動物などに広げれば、もっと多くの種が見つかる可能性があるという政党にみる文化風土
先日、ある友人にいわゆるアベノミクスについて質問されました自民党の「小さな政府」路線からの転換に、違和感があったようですそのときの返答の主旨は、「もともと自民党の中には、中曽根、宮沢の両元首相に代表されるように、アダム・スミス的な市場経済路線と、積極財政を厭わないケインズ主義的な路線の両方がいて、それが振り子のように交互に主流を占め、長期政権を維持したその観点からすれば、小泉政権以来の『小さな政府』路線の弊害が表面化し、震災や円高などに市場原理だけで対応できないなか、自民党ケインズ主義に揺れ戻したと理解していいと思う」というものでした

その友人がいみじくも感想として述べたように、自民党はいわば一つの党のなかで二大政党制を行っていたようなものです状況にあわせて最適と思われる政策を柔軟に提供できる現実主義が、戦後日本の経済成長と安定を生む大きな要素になったことは確かですただし、長期政権化したことで業界との癒着などの弊害が生まれたこともまた確かですいずれにしても、ここで強調すべきは、自民党にはイデオロギーや思想・信条の共通性よりむしろ、「派閥」に代表される人間関係によって成り立つところが大きく、さらにその目指すところは「日本の安定と繁栄」という、きわめて実利的なものであることです天皇制の維持などを除き、自民党全体で共有されている原理・原則のようなものは、ほとんど見当たりません

これは欧米諸国、なかでもヨーロッパ諸国の政党が、イデオロギー的な共通性を求心力にしていることと対照的です第二次世界大戦後のイギリスで、ケインズ主義の影響が強い労働党のクレメント・アトリー首相(任1945-51)のもとで「ゆりかごから墓場まで」の福祉国家体制ができ、スミス的自由主義を重視する保守党の「鉄の女」マーガレット・サッチャー首相(任1979-90)のもとで国鉄民営化などの規制緩和と緊縮財政が進んだことは、その象徴ですもちろん、定期的に国民の審判を受けなければならない政党政治ですから、ある程度は自らのイデオロギーを国民の要望とすり合わせることはあるとしても、少なくとも政党間をまたいだ議員の移動はほとんどありませんそれはすなわち、ヨーロッパでは理念が先にあり、その実現を目指すために政党があることを意味します(米国の二大政党はイデオロギー的にもっとルーズな集まりです)この点に、理念より実利的目標を優先させる、日本の自民党との決定的な違いがあります

実利優先のメンタリティ
ただし、これは自民党だけの特徴ではなく、公明党共産党などを除き、日本の政党のほとんどは、先の与党である民主党を含めて、特定のイデオロギーや理念の実現を目指す集団とはいえません先の衆議院選挙で、政策の共通性の乏しい「野合」と批判された日本維新の会の橋下氏が、「何を議論するかは重要ではない大事なのは決めたことを実行することだ」と豪語し、政党における原理・原則の重要性をほぼ全面的に否定したことは、これを象徴しますそこまであからさまでなくとも、改革を訴えるみんなの党にしても、なぜそれが必要かとなったときには、「無駄を省くことが財政赤字の削減に繋がる」という、これまた実利的な回答を出すことがほとんどで、「『小さな政府』を実現することが、経済的理由だけでなく、なぜ社会のあり様として正しいと言えるのか」といった次元の話は、少なくとも私自身はついぞ聞いたことがありません

原理・原則にこだわらず、実利で物事の判断をすることの良し悪しを述べているわけでないことは、強調しておきますむしろ、ここで指摘したいことは、「日本の政党が実利を優先している」ことではなく、「実利で判断することが日本における支配的な文化風土である」ことです

実際、日本では何らかの理念や原則の実現を目指した行動が広がることは稀でした日本史上、最大の改革者の一人といっていい織田信長が掲げた旗印は「天下布武」、つまり「武力でもって天下を治める」という、内容からすれば身も蓋もないものでしたそれが朝廷、室町幕府、寺社のもつ精神的権威を否定するもので、日本なりの近代化、合理化の端緒をつけたことは確かですが、そこには「武」に寄り添う理念のようなものは見当たりません200年の泰平の世を作り出した徳川幕藩体制もまた、最終的に戦で勝った者が政府を作ったもので、東照宮などでの神格化はあるにせよ、それ以上の支配の正統化はあまり必要ではありませんでした同じ16世紀、ヨーロッパで宗教改革が本格化し、教義をめぐる争いが実際の覇権闘争と連動したことに比べれば、良かれ悪しかれ、日本では「とにかく安定して繁栄した社会を作り出す」こと自体が目的化されたことは確かです

自然環境と精神活動
理念や原則にこだわらない、この日本的メンタリティは、その自然環境に影響を受けたものといえます自然環境が人間の精神活動に影響を及ぼすという主張は、18世紀のモンテスキューや19世紀のトクヴィルらフランスの哲学者たちによって導かれました我が国では、梅棹忠夫が『文明の生態史観』で、やはり文化風土がそれぞれの土地の自然環境に影響を受けると主張しています

この観点からすると、日本には理念や原則に執着せず、周囲の状況の変化に対応することを良しと思わせる自然環境があったといえます四季が移り変わり、山海の恵みは豊かで、しかも島国なので、大陸諸国と異なって外敵の侵入を常に警戒しなくてもいいこの環境のもとでは、季節の移り変わりなど周囲の環境の変化に合わせていれば、比較的豊かで安定した社会を維持することが可能だったといえますそれは、「人間はかくあるべし」といった厳密な教義や、社会のあり方を根本的に規定する普遍的宗教が、日本で生まれなかった、あるいは広く普及しなかった背景としてあげられます

日本で長く信仰の二本柱になってきた神道と仏教は、一神教と比較して、いずれも明確な教義はほとんどなく、統一的な経典、聖典といったものもありません神道は一種のアニミズムで、万物に宿る神々は人智を超えた力をもつものの、無償の愛に満ちた存在ではありません人々は神々の怒りや祟りを恐れ、それを避けるために供物を捧げます一方の仏教は、「解脱」や「悟り」といった言葉に表されるように、人間の精神の解放、言い換えれば、まさに俗世での執着を捨てることを目指すものですどちらも周囲の環境を自明の与件とみなす一方で、世の中を作り直す理念としてのエネルギーには乏しく、強要するような普遍的な原理もありませんこの融通無碍なハイブリッドの信仰は、日本のメンタリティを象徴します
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